そしてその後、ずっと今回のことを考え続けました。
まずはT君が病欠しているときに次男に「病気で休んでいるのだから行ったら迷惑になるし、もしインフルエンザがうつったら幼稚園のお友達や家族にうつしてしまうかもしれない。だから絶対に行ってはだめ!」と毅然とした態度で言うべきだったと反省しました。Kさんに次男が訪問したら断って返して欲しいと身勝手な期待をしてしまったことは親として怠慢でした。せめてそのように電話をかけ、お願いするべきでした。
他のお友達のお母さんにも迷惑をかけていなかったか聞いてみました。
「うちでは、うちの子にも友達にも時間を決めて、させているので何も問題はないよ」と言っていただき、ほっとしました。次男は6歳ながら『T君のお家ではたくさんさせてもらえる』と、知恵を働かせてお邪魔していたのでしょう。そこまでゲームをやりたかったのだと思い知らされました。


ところで私はKさんとの関係で悶々とし、心の安らぎをなくしたままでした。それで、卒園式で写した写真を持ってKさんを訪問することにしました。Kさんは怪訝そうな顔をしましたが、写真を差し出し「記念にどうぞ」と言うと「いただいていいの?」と戸惑いと驚きの様子です。私は「少ししかないけどどうぞ。Aが随分ご迷惑をおかけしてすみませんでした」と頭を下げました。そして「ご近所なのでこれからもよろしくお願いします」と言うとKさんは「こちらこそ」と言ってくださいました。
帰り道は心の安らぎを取り戻し晴れやかになっていました。これで、どこで会っても気まずい思いをせずに挨拶くらいはできるでしょう。そして『できるだけのことはしたのだから』と、思慮が足りなかった自分を許しました。

子供は成長するにつれ親の目の届かない世界ができていきます。目の届く所にいるときは我が子であろうとよそのお子さんであろうと、良いところは認め、問題行動に対しては改善できるよう促すのが大切だと、それも、そのとき、その場であるのが望ましいと思いました。
その後、Kさんと会う機会は学校行事くらいになりましたが、お互いに会釈できる状態にはなっていました。次男とT君は小学校4年生から中学校3年生まで同じ部活をしていたこともあり仲の良い友人でいられ、何よりだったと思っています。

今振り返って、テレビゲームを買ってあげればよかったと後悔しています。
私は親として未熟だったため、かたくなに与えない方がよいと思い込んでいました。でも自宅にあれば時間を決めるなど節度を教えることができたかもしれません。Kさんには家では味わえなかったゲームの楽しさを経験させていただいて心からの感謝を感じています。Kさん宅の憩いの場所であるリヴィングのテレビの前で、ゲームに興じる次男の姿が目に浮かび本当に申し訳なかったと、1歳のお子さんの面倒もみなければならない中どれだけ煩わしい思いをされたかと、今さらながら身の縮む思いがします。
Kさんが「来させないで」と言うまでにはどれほどの心の葛藤と決意があったかを想像して、何故もっと早く気づけなかったかと胸が痛くなります。
そして「来させないで」と言われた言葉が心の奥底でくすぶり続け、真実に目をそむけていたと今は自覚でき、その煙がすうっと消えていくのがわかります。
「これからもよろしくお願いします」という言葉に「こちらこそ」と言ってくださったKさんは、次男が言っていたようにやはり優しい方だと気づかされました。それから私は結構、短気な性格だったので、「来させないで」と言われた時、感情のまま返していたらもっとこじれていたでしょう。きっと以前そんなことがあって修正するための機会を、子育てを通していただいていたのではないかな、とも思うのです。卒園式で『K君の写真を写して』という心のささやきに従えたことは本当に良かったと、あの写真がなかったらKさんとの関係をどう修復できたかと今でも思います。