せせらぎ 60代

今から28年前、次男が通っていた幼稚園の卒園式の朝のことです。
通園バスに乗った次男を見送った後、式に参加するための準備で忙しくしていたら、ついさっき一緒にバスを見送ったばかりのKさんから電話がかかってきました。「お宅のA君は長男のTがインフルエンザで欠席していた日に『T君のお見舞いに来たよ』と訪ねてきたの。『今日はインフルエンザで休んでいるから遊べないよ』と言ったのだけど『1歳の弟と遊んであげる』と言うので仕方なく上げたの。ところが、下の子を遊んでくれるどころか、うちのテレビゲームに夢中になっていて、Tはその傍でぼーっと見てた。これまでも遊びに来るのはテレビゲームが目的のようだった。今日、卒園式が終わったら春休みに入ってしまうでしょ。春休み中ずっとそんなふうになってほしくないのでA君に、もううちには来ないように、私からは言えないのであなたから言ってほしい」という内容でした。
T君が欠席していた日、次男は幼稚園から帰宅して「T君のお見舞いに行ってくる」と言うので「病気なのだから行ってはだめ」と言ったのですが「どうしても行く」と聞きません。内心『行ってもT君のお母さんに断られるだろう』と無責任にも行かせてしまいました。すぐ帰ってくると思っていたのですが、なかなか帰らないので他のお友達のところにお邪魔しているのだろうと思っていました。しばらくして帰宅した次男は「Tくんのおばちゃん最初はだめと言ったけど上げてくれたよ」と言うので「ええーっ、上げてもらったの!?」と驚きました。でもまさかゲームをさせていただいていたとは夢にも思っていませんでした。
その当時、ファミコンといってテレビゲームが流行り出していましたが、我が家では視力が落ちると思い込み、与えていませんでした。友人宅で遊ばせていただくことについては、どうしたものかと悩みの種でしたが「うちの子にはさせないで」と言うわけにもいかず、その家のルールで遊ばせていただいていました。「自分の家では与えず、よその家でやらせている」と思われても仕方のないことではありました。その電話で、あのお見舞いの日のいきさつがわかりました。それにしてもその電話の内容は衝撃的でした。「来させないで」ということは「もうお宅との交流はしません」ということでもあります。それまでの送迎の2年間、Kさんは、いつもにこやかで人当たりよく接してくれていたのです。いつも「お宅のA君は本当に優しくて1歳の弟ともよく遊んでくれるの」と言ってくれていました。次男にも2歳の妹がいて優しくしてくれていたので、その言葉を信じていました。そして、それまでは苦情めいたことを言われたこともなかったのです。

私は心の整理ができないまま情けない思いで卒園式に出かけました。
父兄の席は園児の後ろで式の様子がよく見えません。卒園児一人ひとりが舞台上の園長先生から卒園証書を授与されるので、記念写真を撮るために私は廊下の舞台に近い窓際に立っていました。順番を待っているとT君が通路を歩いてきます。すると心の中で「写して」と言います。「えっ、写すの?」「いいから早く写して」とせめぎあいます。それも一瞬で私はシャッターをきっていました。3枚ほどです。Kさんは近くにはいなくて多分父兄席だろうし1歳の子どもさんを連れているから写真は撮れないだろうと思いました。
あの心のせめぎあいのもっと奥で『記念になったらいいな』そして『写しておかないときっと後悔する』と強く感じてのことでした。
帰宅してから次男にはKさんに言われたことを伝え「T君のお家には行かないように。でもT君がこちらに来るのはいいからね」と言いました。
次男は「おばちゃん優しくて何も言わなかったのに」というようなことを言ったように思います。それまで次男にとってKさんは「優しいおばちゃん」でした。
その時、次男がどんな表情をしていたか記憶にありません。とにかく次男とT君の関係を壊したくないと思っていました。